「嫌われる勇気」という本を、なぜか何度も繰り返し読んでいる。
その内容については、また改めて書こうと思う。
その中に、子供時代に友人をつくらない男の子が出てくる。
彼のことを心配した母親が、その悩みを教師に相談する逸話が出てくる。
そのとき教師は、この子は友達を必要としないのだと答えている。
本当に、友達を必要としない人などいるのだろうか。
関係あるかどうかわからないが、最近、よく耳にする言葉で、引きこもり、外こもりというのがある。
彼らは、寂しさを孤独感を感じることはないのだろうか・・・
ちなみに、外こもりとは、日本語俗語辞書によると
『外こもり』の解説
外こもりとはアルバイトなど日本で短期間集中的に稼いだ金を持って物価の安い国に行き、そこで長期滞在して生活することをいう。また、そういった人を外こもり族という。言葉自体は2006年に使われ始め、2008年にそうした人が増加していると再度話題になった。なお、外こもり族の長期滞在先として多いのはタイ王国の首都バンコク(ネットカフェやコンビニがあり、街は近代的だが物価は安いため)。一見、優雅な海外生活にも見える外こもりだが、海外と引きこもりの合成語であることからもわかる通り、滞在先で外出することは少なく、中には一日中宿にこもっている者もあるという。
引きこもりは、家族と暮らすことはOKであるので、いくらか救われる。
でも、外こもりは、親しい関係を一切絶って、故郷からも離れて引きこもる人のことだ。
でも、この生き方も、一つの生き方だと思う。
誰とも接する必要がない、誰も関心を払ってくれない環境で、たった一人になることができるのは、最高に自由な環境だといえると思う。
それで、孤独感にさいなまれて、自殺したくなるかもしれない。
でも、完全に一人になることは、自分を初期化することでもある。
自分を見つめ直し、誰にも気づかれないで、なりたい自分に変わることもできる気がする。
過去の自分の殻とおさらばして、言葉の壁を越えて、周りの人間とコミュニケーションをとるようになるかもしれない。
外こもりを一定期間経験した後で、自分が何を得るか、何を失うか、一度試してみるのもいいのかもしれません。
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